manutenzione

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走ると痛む、減る、壊れる、はたまた崩壊する。
クルマは機械なので絶対的に言えば人格などは無いし意志も持たない、はず。
そこでそのクルマを所有する人間が時には自分の気持ちとして、そのクルマの
「不良箇所」を修理し、時には生物になぞらえて「治療」を施すことになる。

私の場合、どちらかな…と答えの出ない考え事をしながら、いつもの長吉長原へ。
アライメントの調整とコイルスプリングからの異音、各部グリスアップと
油脂類交換と、サーキット走行後の一連の確認と整備をお願いしました。
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機械だからどんなに手塩に掛けても直接的な意味での見返りはない、はず。
でもそんなやり取りや試行錯誤をしている内に、少しづつクルマとシンクロして走り、
共感することは理論的にも破綻していないんでなかろうか、と思う訳であります。
しかし面白いことに、クルマを本当に好きと思っている人や、本気で遊んでいる
人達が口を揃えて言うのは「あのクルマはオーラがある」という言葉。
それはクルマを物質として見ているストイックな人から、そのクルマが持つ
ヒストリーを加味して魅力を見いだす人まで区別無く。
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クルマの希少性は珍しく、そして楽しく、また歴史的背景は大変興味深く。
そのような物語があるから機械であるクルマにも人は惹かれる訳ですが、
(=)イコールというか類義語…そのような雰囲気の言葉で表すならば、一般大衆車、
量産車でさえもオーナーの愛情いかんによっては、希少性の高いクルマが持つ
オーラとはまた違った、独特のオーラを持つに至るんだろうと感じています。
いつも仲良くさせて頂いてる方々が言った「オーラがある」というのは、
勝手ながらむしろ独特のオーラのことを指すんであろうな、とも思います。
*個人的には「オーラ=権威」では無く、もっと柔らかいニュアンスと捉えています。
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fiat 500を購入し丸3年が経過した訳ですが、結果、この個体との距離
というものがあるのならば、それは近付いていると感じるこの頃。
少し感傷的に書くとするならば、購入当時は私は今と比較して全く無知だった。
そして、この個体もそれを知っていたからこそ、敢えて歩み寄ろうとしなかった。
車体トラブルや不意の故障など、何となく噛み合ない時期があった。
その冬の時代を知識と経験を積み(勿論主治医に適正化して頂き)なんとか
次のステップにいけたと自負するのですが、今はその培った関係性というものを、
少しずつですが、わずかに感じられてくる時期なのかも知れません。
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自分で自分のことを客観的に見れる人間と言うのは、非常に稀で、もしかしたら
そんなことは論理的に出来ないことなのかも知れませんが、それを敢えて
するとするなら、私の個体はその独特のオーラといいうものは、まだ当たり前ながら
全くもって纏っておらず(将来的に纏えるかは別として)、さりとてその
「至って普通」が、今の自分に合っていて心地良い部分でもあります。
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ウマに乗っている我が車体を眺めながら、ふと思ったのは、
そのオーラを濃密に漂わせている車両(オーナー)とonでは無くoffで一緒に走り、
熱く語り、ヒストリーや裏話を知る楽しさが、fiat 500との関係性に影響を与え、
更に良きものにしてくれ、そして必然的な故障や不具合はあるものの、
飛躍的に楽しい車体にしてくれたことは否めないと感じるのでありました。
fiat 500をいつまで乗ることが出来るのか、それは全く不明ではありますが、
古いオイルを抜かれるfiat 500を眺めながら、その始まった関係性を
まだまだ深めていければ、と何故かぼんやりと思うのでありました。
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by fotografiat500 | 2011-11-06 03:27 | メンテナンス